雷 擬獣化展


イベント詳細


雷 擬獣化展

【会期】
店頭:
2022年12月3日(土) 〜 12月25日(日)
平日月〜火 休
平日水〜金 11:00〜16:00
土日祝 13:00〜18:00

オンライン:
2022年12月4日(日)20:00 〜 12月25日(日)18:00

【会場】
Picaresque Art Gallery
住所 東京都渋谷区代々木4-54-7

オンライン: https://picaresquejpn.com/kaminari-2022-12/

【概要】

◆企画者の言葉
(ギャラリーウェブサイトより抜粋)

雷の正体は電気であると主張し、雷鳴轟く空に向かって凧をあげたといわれるベンジャミン・フランクリン。 その雨嵐で濡れた瞳に映る雷の美しさは、如何程だったでしょうか。

***

動物は生まれながらにして微弱な電気を有しており、それにより脳や心臓をはじめとする臓器が機能しているそうです。
雷の閃光の直後、世界中のガラス全てを叩き割ったような轟音に包まれるたび、過去の闇から抜け出た過ちに、全身を鷲掴みされたような衝撃を覚えます。

その痺れは、動物である「わたし」の身体に流れる電気が、己の本来の姿に覚醒、先祖返りしようとする際に生まれ出る、瞬間的な「わたし」の分裂なのかも知れません。

***

わたしの体内に水があれど、
わたし自身が海ではないように
わたしの身体に流れる電気は
雷には成れません。

知り目を瞑ること
知らないまま見ること。

想像に留めること
成るように成すこと。

***

海外、混雑した街中で日本語が聞こえた時、瞬間 研ぎ澄まされる意識はまるで雷のようです。
環境の変化に種が、個が、生き残るため進化したように。
野を歩いた時、いつの間にか無数の種子が足に付着していたように。
「わたし」という存在はもしかすると、歩く電気、小さな雷の隠れ蓑なのかもしれません。

では、「わたし」が終わりを迎える時。
肉が土に、血が海に帰る時。
この体内に宿る「小さな雷」はどこへ行くのでしょうか?

「わたし」から放たれた瞬間、どのように鳴き、 どこへ向かって駆け出すのでしょうか。
「わたし」の内に宿る雷が己のままに拡がる「わたし」のいない世界。

そこが、かつてベンジャミン・フランクリンが目にした、全貌の知れない雷のように美しく、気高いものであることを、願わずにはいられません。

***

苛烈なのに
心惹かれ

知らぬ間に
命支えられ

目にすることも、触れ合うことも出来ない

わたしに宿るこの小さな雷を想う気持ち。
わたしを生かす、自然の一端。

***

自然を恐れながらも愛おしく思う感覚は 「わたし」亡き後の「わたし」をすくう 必然的感性なのかもしれません。

そして、人間に食欲を向ける獣たちや、未知のウィルスをも「わたし自身」と捉える感性こそ、現在を生きる「わたし」に必要な今を生きるセンスなのかもしれません。

敵か味方か、賽の目が出る前に。
「雷」を「獣」に見立てこの世界に生み出すことで、それを人々へ愛でていただくことで、より感覚的に、日常的に、わたし以後のわたし、自然の有様をそのまま受容する感覚を育めないかと考え、本展を企画しました。

 

【出展作品】

オンラインギャラリー

◆「The Mountain God of Lightning」

嵐の中、北の山々を雷鳴が揺るがす。
その音に、かつて人々は山の主……熊が轟きをあげるようだと感じた。
稲妻は尾根を伝って疾り、雷撃は豊かな土の中を伝播して草木を眠りから覚まし、
嵐のあとには山の緑はいっそう豊かになるだろう。

そうした崇拝が形となった稲妻の神は、
山の肉体に雷をまとい、その顔は熊のものである。

 

◆「The Empire God of Thunder」

砂と岩の荒野を支配した古代の帝国は、
自然を神として崇め、なかでも嵐を最も恐れた。
長い夜を穿つ雷光は、聳える神々の塔よりも尚高くを奔り、
あらゆるものを克明に照らし出し、裁きの光として君臨した。

そうした畏敬が形となった雷光の神は、
自らの眩さのゆえに目をもたず、空から舞い降りる鳥の姿をしている。